組織透明化と機械学習を組み合わせた内耳の全感覚細胞解析手法の開発

2019年09月26日患者・一般


  • 骨に囲まれた内耳に最適化された透明化手法を考案し、機械学習を用いて全ての有毛細胞の位置や情報を自動抽出するためのプログラムを開発しました。
  • これまで内耳有毛細胞の解析には組織切片などを用いて一部しか解析できませんでしたが、本研究によりすべての細胞の状態を網羅的に解析できるようになりました。
  • 本成果を活用することで、難聴のモデル動物の解析が進み、難聴の病態の解明やそれに基づく治療法の開発が加速すると期待されます。

研究の概要

音は内耳の中にあるコルチ器(注1)で音の振動を有毛細胞(注2)と呼ばれる感覚細胞が感知しています。コルチ器には特定の周波数に反応する有毛細胞が数千個整然と配列していますが、解剖学的特異性(らせん構造、骨と軟部組織の二重構造など)によって解析法は限定されており、有毛細胞を網羅的に解析する手法は存在しませんでした。東京大学医学系研究科の山岨教授らの研究グループは、従来の組織透明化手法(注3)を改変し蝸牛に最適化させ全有毛細胞の可視化に成功しました。また、機械学習をベースに全有有毛胞を自動抽出するプログラムも開発しました。本研究の成果は、蝸牛の生理形態解析だけでなく内耳性難聴における病態解明や治療シーズ開発を加速させると期待されます。

本研究は、文部科学省 科学研究費助成事業、日本学術振興会 科学研究費助成事業、および科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業(CREST)の支援を受けて行われました。

研究の内容

私達が音を聞いているときには内耳に存在する細胞群が極めて精巧に機能しています。蝸牛内にはコルチ器と呼ばれる感覚装置があります。この装置の重要な細胞要素である、感覚細胞である有毛細胞の数と聴力は相関することが知られており、感覚細胞の機能を評価することはヒトの耳の機能を評価する上できわめて重要です。コルチ器には異なった周波数の音に対応して反応する有毛細胞が高い音から低い音に向かって順番に整然と配列しており、これらの多数の細胞全体の空間的情報を抽出できれば、難聴やめまいなどの内耳疾患の研究に広く利用することが出来ます。しかしながら、これまでコルチ器の有毛細胞の状態を調べるには組織切片を使って全体の細胞のほんの一部を解析する手法が主に使われてきました。あるいはヒトの手によって微細なコルチ器を複雑な骨の迷路の中から取り出してくる方法もありますが、非常にデリケートなコルチ器を無傷で取り出す事は大変難しく、一般的な解析方法にはなっていません。このような背景から、耳の機能の研究を発展させるには、コルチ器全体を傷付けない状態でイメージングし、中に存在する有毛細胞を全て検出して、一個一個の細胞レベルでその細胞に障害が起こっているのかを判断する技術が求められて来ました。

本研究では、コルチ器に存在する数千個の有毛細胞全てを高い精度で自動的に検出し、一個一個の細胞の障害の程度などを評価する方法論を提案しました。このような解析を実現させるために、新しい技術である組織の透明化手法を骨に囲まれたコルチ器にも応用できる様にまず改良しました。その結果として、組織深部からの蛍光シグナルを検出できる二光子顕微鏡(注4)によるイメージングと組み合わせることで、コルチ器を含む内耳の組織全体の3次元画像を取得できる様になりました(図1)。次に得られた3次元画像から自動的に全ての細胞の位置や細胞毎の情報を抽出するためのプログラムを、機械学習の手法を活用して開発しました(図2)。これまで人の眼で行っていた一個一個の細胞の同定や計測をプログラムによって自動化することが出来、サンプル作成から全細胞データの取得までを5日間で終えることが可能になりました。この自動化プログラムはヒトの眼による有毛細胞の検出や細胞死によって細胞が抜け落ちた部位の同定を代替することが可能で、その正確度や精度も人間による測定と同レベルにありました。

新しいコルチ器の細胞アトラス作成法を用いると、加齢や騒音によって引き起こされるコルチ器の障害を短時間で詳細に解析することが可能になり、障害の原因によって細胞死を起こす細胞の空間的な配置に違いがあることもわかりました。またこの方法は細胞を同定するだけではなく、細胞内の構造や特定のタンパク質、有毛細胞が神経細胞と形成するシナプス構造の検出も可能です。解析の応用例の一つとして障害を受けて死んでいく細胞の周囲の細胞にも、細胞骨格レベルでの変化が生じている事が示唆されました。

本成果により、これまで解析することが困難だった難聴のモデル動物の内耳に起こっている変化を、短時間の内に網羅的かつ一細胞レベルで解析することが可能になりました。難聴を表現型とする疾患動物のモデルは多く存在しますが、これまではコルチ器での有毛細胞の病態を効率良く検出する技術が存在しなかったために、細胞レベルでどのような変化が初めに起こるのかはほとんど明らかになっていません。本成果を活用することで、様々な難聴のモデル動物での有毛細胞における初期の変化を特定することが可能です。このような動物モデルでの研究を通じて、特に多くの高齢者を悩ます老人性難聴の病態の解明やそれに基づく治療戦略の開発が将来的に加速すると期待されます。

図1:組織の透明化と二光子顕微鏡によるイメージング
図1:組織の透明化と二光子顕微鏡によるイメージング
上:コルチ器を含む側頭骨の処理過程を示す。脱灰から屈折率調整までで3日で終了することが可能。
下:二光子顕微鏡により取得したコルチ器全体の蛍光画像。抗ミオシン7A抗体により有毛細胞が染色されている。表面からの深さ(0-800ミクロン)によらず、有毛細胞からの蛍光シグナルが検出できる。

図2:全有毛細胞検出のためのプログラムの概略
図2:全有毛細胞検出のためのプログラムの概略
ステップ1で二光子顕微鏡の画像を張り合わせ、コルチ器全体を再構築する。
ステップ2でらせん状に配列している有毛細胞の列を直線化する。
ステップ3で機械学習により内有毛細胞の検出とカウントを行う。
ステップ4で内有毛細胞の位置を基準として外有毛細胞の位置の検出および消失した細胞の検出・カウントを行う。

論文情報

雑誌名

Bio-protocol

論文タイトル

A Novel Technique for Imaging and Analysis of Hair Cells in the Organ of Corti Using Modified Sca/eS and Machine Learning

著者

Shinji Urata, Tadatsune Iida, Yuri Suzuki, Shiou-Yuh Lin, Yu Mizushima, Chisato Fujimoto, Yu Matsumoto, Tatsuya Yamasoba*

DOI

10.21769/BioProtoc.3342

掲載日

2019年8月20日

研究者

浦田 真次(東京大学医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 特任研究員)
飯田 忠恒(東京大学大学院 医学系研究科 分子細胞生物学専攻 特任助教[研究当時/現・東京医科歯科大学 皮膚科学 医員])
鈴木 悠里(東京大学大学院 医学系研究科 分子細胞生物学専攻 大学院生)
Shiou-Yuh Lin(東京大学大学院 医学系研究科 脳神経医学専攻 大学院生)
水嶋  優(東京大学医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 届出研究員)
藤本 千里(東京大学医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 助教)
松本  有(東京大学大学院 医学系研究科 外科学専攻 講師)
山岨 達也(東京大学大学院 医学系研究科 外科学専攻 教授)

用語解説

(注1)コルチ器
内耳にある感覚器官。内耳内の蝸牛と呼ばれる膜組織の一部であり、感覚細胞である有毛細胞がその長軸に沿って配列する。音の振動はリンパ液を介してコルチ器に伝わる。

(注2)有毛細胞
音の振動を感知する感覚受容器細胞。内耳では音の振動により有毛細胞の持つ感覚毛が機械的に刺激され、機械受容器チャネルが活性化される。有毛細胞は神経終末との間でシナプスを作り、音の情報が中枢神経系へと伝えられる。哺乳類の内耳では内有毛細胞と外有毛細胞の二種類があり、コルチ器に前者は一列、後者は3-4列に整然と並ぶ。

(注3)組織透明化手法
組織は通常は光をそのまま通過させることは出来ず、透明度は低いが、化学的な処理を施すことでその透明度を上昇させることが出来る。透明化には光の屈折、散乱、吸収を抑えることが必要であり、水溶性あるいは脂溶性の複数の溶液が透明化試薬として提案されている。骨組織はその中に多量の無機物を含み、また膠原繊維の様な特定の配向を取る生体高分子も豊富なため、元々の光の透過性が低く、組織透明化の効率が悪いことが知られている。

(注4)二光子顕微鏡
二光子吸収現象を利用した走査型のレーザー顕微鏡。近赤外光により蛍光色素を励起することが可能で、また近赤外光は組織内での直進性が高いため、二光子顕微鏡を用いると組織深部のイメージングを行う事が可能になる。